老人たちの死(3)
1999年8月9日
 先の老人の事件があった数日後,私のベッドの隣に今度は80歳を少し過ぎた老人が入ってきた。付き添って来た40代の男は,老人を「おい」「お前」と,ぞんざいに呼び捨てにする。どういう関係かといぶかったが,聞いておればやはり息子らしい。老人の方が息子に「…して下さい」と丁寧だ。奇妙な親子である。

 老人はどうやら足が不自由らしい。ベッドから立ち上がるのも一苦労。とても歩ける状態ではない。携帯トイレをベッドのそばに置いてもらって,それで用を足すのだが,それでも,使うたびに看護婦や看護助手の手を借りねばならない。あまりたびたびナースコールをしては申し訳ないと思うのか,我慢して漏らしてしまうこともある。

 食事は普通にとれるようで,食膳が運ばれると何とかベッドに起きあがり,オーバーテーブルにおかれたそれに箸を運ぶ。私は1月の入院以来ずっと口から食事のとれない状態が続いていたので,食事時といっても特にすることはなく,ベッドに横になったままぼんやりと視線の隅にその様子をおさめていた。点滴暮らしが長くなると,自然な欲求である食欲は完全に消え失せ,人が食事をとるのを眺めていてすら,「食べたい」とか「うらやましい」とかいった感覚はみじんも浮かんでこなくなる。絵空事のように,老人の食事姿を一枚の風景画として眺めていたのである。

 老人はオーバーテーブルからずいぶん距離をとって座る。そのぶん膳が遠くなるから腕を目一杯伸ばさねばならず,箸の運びが不安定で危なっかしい。みそ汁の椀を手元に引き寄せるときなど,手がふるえてこぼれてしまう。見ていられないという感じである。いったん体を起こして座を占めてしまうと,位置を変える余力はもはや残っていないのか。不安定な食事姿を,はじめはそんな風に解釈していた。しかし,それにしても,いつもいつも遠くに座る。少しは座る位置を学習すればいいのにと,私は人ごとながら気になってしようがなかった。ベッド暮らしが長いと,そんな些細なことが気にかかるのだ。

 しばらくして理由が分かった。老人は視野が極端に狭いのだ。食膳全体を視野に入れるためには,食膳から遠くに座るしかない。生理的必然,あるいは物理的必然とすら言ってもいい。ときどき,様子を見に来た看護婦が気を利かせて,「おじいちゃん,お膳が遠すぎやせん? 食べにくいでしょう」と,オーバーテーブルを老人の近くに移動させてあげることがある。当然の親切でそうするのだが,すると老人の手元がたちどころに狂い始める。箸でおかずの皿をつついているとき,その横にある湯飲みを手の甲でひっくり返したりする。しかも,湯飲みがひっくり返って布団がびしょぬれになったことに,老人は気づかない。湯飲みの転落は,視野の外の出来事なのだ。

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 老人はまた,耳が遠く,しゃべる方も少々困難な様子だった。老人が入ってきたその日,「足がお不自由そうだけど,どうされたんですか」と聞くと,それまで無表情に空(クウ)を見つめていた横顔に,パッとはにかんだようなすばらしい笑顔が浮かんだ。汚れを知らない神々しい笑顔だった。視線の先は無限遠点をとらえている。意識が過去をさまよい,何かをまさぐっているのがわかる。私は,笑顔の奥から今にも言葉が吐き出されてくるのではと,期待して待った。ところが老人の口からは何も出てこなかった。老人は笑顔を浮かべたまま,油の切れた機械のように顔をガクガクと苦労して私の方に回した。

 私の映像が視野の中にとらえられると,「何?」という表情を浮かべた。私の問いかけの意味がつかめていなかったようだ。声を大きくして,再度聞く。再びあの笑顔が戻り,今度は口を開いた。つっかえつっかえ,聞き取りにくい小さなかすれ声で語る。

 半分は想像を交えながら何とか聞き取ったところでは,足が不自由になった理由は自分にもよく分からないらしい。少なくとも足の治療で病院にきているのではないようだ。大学病院で肝臓の手術を受け,その回復治療のため,この個人病院に転院させられたという。これは偶然にも,先に亡くなった老人と同一パターンである。しかも,過去のみならず未来にも,同一パターンが老人を待ち受けているのだ。遠からずこの老人は,肝臓とは無縁な死因で命を落とす運命にある。もちろん今この時点でそれを知るものはいない。

老人たちの死(4)
1999年8月26日
 老人が隣のベッドで生活するようになってしばらくした頃のこと。午後の春陽を窓辺に楽しみながら微熱の治まらない体をベッドに横たえていると,廊下にカツカツと聞き慣れない女性の靴音が響いてきた。ゆったりした歩調ながらも,一歩一歩踏みしめるように音色は硬くて重い。病室ごとに入り口の名札を確かめながら近づいてくる様子である。四六時中ベッドに縛られていると,外界のイメージはもっぱら耳を通して形成され,聴覚からくる想像力や感性は普段の何倍もとぎすまされてくる。

 靴音は明らかに新来者のものとわかった。しかも若い女性である。かすかなためらいとそれを振り切る反撥力とが硬い響きの中に同居していて,ときめきいた心の弾みと,その裏地をなす躊躇の念が伝わってくる。中年過ぎのおばさんの,無感動で平板な靴音とは明らかに異なった,初々しく律動的な靴音である。

 靴音は私のいる4人部屋の前までやってきて,ピタッと止んだ。そして内部をうかがう気配に続いて,それは再び数歩の歩みの音を立て,入り口に近い老人のベッドサイドに向かった。

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 靴音の主は,寝ているのか醒めているのかよく分からない老人の目元をしばらくは立ったまま見つめていたが,やがて意を決したように「Sさん,こんにちは。お元気そうですね」と,明るく鮮明な,そしてやや甘えるような声で呼びかけた。病院では農家の人たちのしゃべる生粋の松山弁にひたりきっていたので,突然発せられた標準語のアクセントの美しさに,私は稲妻に打たれたような衝撃を覚えた。老人は声には気づいたが,相手の分別がまだつかない様子である。「私です。Aです。ほら,向こうの病院の」「ああ,ああ」「覚えていますか」「ああ,覚えとるよ。きてくれたんじゃな」

 老人は元気を取り戻し,ベッドに起きあがって座った。相手の女性はベッドサイドのスチールいすに腰をかけ,二人は向かい合っている。何か奇妙な雰囲気である。
 女性のよく響く美しい声には,どことなく親しい間柄を思わせる甘えの調子が感じられる。一方,老人がかすれた喉から必死に発する言葉には,年とともに大脳の表層から干上がっていたはずの異性への繊細な思いやりの調子が呼び戻されている。気がつくと,老人はいつの間にか松山弁を捨て,しゃべる口調までが相手に沿っている。見慣れた老人の姿はそこにはなかった。

 日常性を完全に脱却した,不思議な異次元空間が二人を包んでいた。聞くともなしに聞いた二人の会話から察すると,女性は大学の医学部生。二十歳を過ぎたばかりというところだろう。対する老人は,80有余歳。恋人と言うには不自然すぎる。

 この病院に転院する前,老人が大学病院で手術を受けたことは,老人から聞いて知っていた。二人の出会いの場がその病院であったことは確かである。しかし,こんなにも歳の離れた二人を親しくさせたきっかけが何であり,現在の関係はどういう言葉で表しうるものなのか。想像を巡らせながら会話の端々を聞いていたが,どうもよく分からない。不思議な関係としか言いようがない。既成の概念に治まらない関係,従ってそれを表す言葉をもたない関係。そんな風に考えるしかなさそうであった。

 少なくとも,単なるボランティアで女性が老人と接しているのではない。そもそものきっかけはそうだったかもしれないが,今は明らかに個人的な親近感がそれを越えている。かといって,将来を約束するような恋人関係であるはずはない。はっきりしているのは,二人ともが,こうしてともに時を過ごしていることにときめきを感じているということである。やっぱり,表現する言葉を私は知らない。

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 会話の途中で,「そうそう,お花を買ってきたんですよ。Sさん,花瓶ありますか」と,女性がスチールいすの下に置いていた花束を取り出した。ちらっと視界に入ったその花は,ユリとカスミソウらしかった。大きな花瓶がないことは知っているのだろう。花のボリュームは小さかった。老人が答えないうちに女性は,「ほら,あの花瓶,こちらに持ってきているのかしら」と,ロッカーの中や棚の上を調べ始めた。そして小振りながらふっくらと形のよい花瓶を探し出した。水を入れ,切り整えることもなく花を差し込んだ。この花は後日,ちょっとした悶着の種になるのである。

 別れ際に「また来ますね」と言って女性は立ち上がったが,すぐには帰ろうとしなかった。しばらく老人を見つめたあと,手を差し出した。「握手しましょう」と。老人もごつごつした手をふるえながら差し出した。

 「じゃあ,帰ってきますね。お元気でね。また来ます。」女性は若々しい靴音を残して立ち去った。老人の目には,余韻のようにまだしばらくは輝きが残っていた。

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